
1991年に日本のトラックメーカーとして初めて世界一過酷なレース「パリ-ダカールラリー」に参戦した日野自動車。’92年には菅原義正氏をドライバーに迎え、初参戦以来「ダカールラリー」と名称とタイトルとコースが変わった現在に至るまで連続完走を果たしている。


’97年にはトラック部門総合では史上初となる1位・2位・3位を独占。その後も総合2位を3回獲得するなど、トラック部門のトップチームに君臨している。菅原義正氏はクラス優勝7回、部門総合準優勝6回を果たし、2019年に勇退するまでギネス記録でもある連続完走20回および連続出場記録36回の偉業を果たしている。「日野チームスガワラ」はそんな菅原義正氏が会長を務める「非ノンレーシングマネージメント」と日野自動車で構成されるダカールラリー共同参戦チームで、現在は氏の次男の菅原照仁氏(日本レーシングマネージメント社長)が代表兼ドライバーを務めている。
菅原照仁氏は’05年に親子2台体制で同ラリーに参戦。’07年には排気量10リットル未満クラスで初優勝。’21年には同クラス12連覇を果たすなど、父の偉業を引き継いでいる。

その日野チームスガワラが2025年1月3日〜17日にサウジアラビアで開催された「ダカールラリー2025」にHINO600シリーズ(日野の海外向けボンネットタイプ中型トラック)で参戦。’91年の初参戦以来の連続34回完走を果たした。またこの完走により、代表兼ドライバーの菅原照仁氏は父・義正氏が達成した連続完走20回の記録にも並んだ。
今回のラリーでは第8ステージから最終ステージまでトランスファーの不具合に悩まされたが、メカニック陣の懸命な修復作業と選手3名の連携により、その大きなトラブルを克服し、見事サウジアラビア南東部のシュバイタの最終日の競技を超え、完走を果たすことができた。
日野チームスガワラ チームメイトのコメント

■ドライバー兼代表 菅原照仁氏
今回の参戦にあたり、ご支援や応援をしてくださった方々に感謝申し上げます。最後のSSはそんな気持ちで走りました。色々なことがありましたが、トラブル対応では寒い中メカニックさんたちが頑張ってくれたりと、チーム全員にとって良い経験になったと思います。
■ナビゲーター 染宮弘和氏
昨晩は残り20㎞でトランスファが壊れてスタックしてしまい、タイムはオーバーしている上に、タイムコントロールも既に閉まっていました。主催者に確認のうえ、修復後は直接舗装路に出て帰還しました。今回は後半にトラブルが集中し、メカニックの皆さんが懸命に対応してくれたおかげで、何とか完走することができました。チーム全体の総合力が確実に上がっていると感じています。
■ナビゲーター兼メカニック 望月裕司氏
昨晩は大変でしたが、ビバークに戻ってからもメカニックさんたちの頑張りでギリギリ修理が間に合い、出走出来ました。自分は日野自動車の社員ですが、今回も難しい状況の中でダカールの活動を継続させてもらい、感謝しています。
■開発責任者 技術統括部 ダカールチャレンジグループ 土屋拓麻氏
今回のレースでは、車両の大きなトラブルに見舞われながらも無事完走を果たすことができました。これもひとえにチームメンバー全員の努力と情熱、そして協賛会社の皆様からのご支援と温かいご声援があってこその成果です。
今後も、技術をさらに磨き上げ、QDRに優れた車づくりとチーム力の強化を図ります。引き続き、皆様のご支援とご声援をよろしくお願いいたします。
また日野チームスガワラでは、メカニックを国内の日野ディーラーから公募。今回は青森日野自動車の柏谷壮一郎さん、南関東日野自動車の邵相権さん、長野日野自動車の上原智史さんの3名が選抜され、メカニックとしてチームに帯同。ラリー中最大のトラブルであったトランスファーの破損にも、それぞれのメカニックが高い技術力を発揮した問題を解決。完走に大きく貢献した。

