戦後の日本を支えたトラック オート三輪の歴史

今ではすっかりとその姿を見なくなったオート三輪と呼ばれたトラック。懐かしいと思う人は今の60代以上の世代でしょうか。

戦前から戦後にかけて多くの台数が生産された国産の三輪自動車は、少ない資材、限られた工作機械を駆使して生み出されました。そして、オート三輪が日本経済を支えるほどに普及したのは、4輪自動車よりもはるかに安価であることと、大きな荷台を持っているにも関わらず小回りが効いたことが要因でした。さらに当時の維持費も2輪車とあまり変わらなかったと言うのも人気だった理由のひとつでしょう。

オート三輪は主に1930年代から1950年代にかけて活躍したトラックの元祖です。もともとはオートバイを三輪にすることで後部の荷室スペースを確保し、そのほとんどが輸送目的として利用されていました。

しかし、長い歴史を持つオート三輪も、やがて小型から軽三輪、軽4輪自動車、4輪キヤブオーバートラックへと変わっていき、やがて衰退していくことになったのです。いまでは街中で見かけなくなりましたが、マツダは1974年まで製造していました。

では、もう少し歴史を振り返ってみましょう。オート三輪の全盛期は1957年頃と言われており、世界的に見ても、日本の三輪トラックほど普及した例はかつてなかったようです。

これはトラックの生産台数を見ても明らかですが、少なくとも1957年までは4輪よりも三輪が圧倒的に生産台数は上回っていたのです。

その一例として1951年4~9月の半年間でトヨタ、日産、オオタの3社しかなかった4輪トラックの合計がわずかに3891台であるのに対し、三輪トラックはダイハツ6114台、マツダ5531台と両社とも単独で4輪をはるかに抜いていたというから、その圧倒的な販売台数が伺えます。

こうして隆盛を極めたオート三輪も、時代の流れでその数を減らしていくのですが、それにはいくつかの原因があります。

なかでも、その安全性の低さが大きな要因のひとつでした。オート三輪は荷台があるためにどうしても重心が高くなりやすい傾向にあります。そのためコーナリング中にブレーキをかけると左右どちらかの斜め前方に転倒しやすいという構造的なウィークポイントを抱えていたのです。小回りが利くことと、前軸重が小さくトラックとして重量配分がよいというメリットが、逆に4輪に比べ、圧倒的に横転し易いという弱点を産んでしまったのです。

当時は、ちょっとスピードを上げて交差点を曲がったオート三輪がコロっと横倒しになった姿がよく見らたようです。こうしたオート三輪の横転しやすさは、道路整備が進み交通が高速化していく1960年代以降は問題視され、それも『三輪免許の廃止』につながったと言えるのです。

今ではクラシックカー並みに貴重なオート三輪ですが、この歴史は1996年に登場したダイハツ・ミゼットⅡへと受け継がれました。もちろんミゼットⅡは3輪ではなかったものの2001年まで製造・販売されていた軽貨物自動車で、コンパクトなボディに後部には荷台という、当時のオート三輪のフォルムをオマージュした姿で注目を集めました。

当時モノのオート三輪の中古車はなかなか入手が難しいですが、ミゼットⅡはまだまだ手に入るので、興味がある方は中古車サイトを覗いてみてください。

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